解説文は文章下のスライダを左に動かすと後半文章をお読みいただけます。
図面ボタン」を押すと、再建時の図面がご覧頂けます。
今津灯台とは
創建から200年以上の歴史を持つ
日本最古の現役灯台

日本最初の灯台は、893年(承和6年)、
遣唐使船のために九州各地で防人によって焚かれた

かがり火と言われています。 江戸時代になると海運が盛んになり、
常夜灯などが岬や港に近い神社の境内などに
設置されました。
今津港ができたのも、江戸時代の1793年(寛政5年)で、
江戸の酒荷を運ぶ樽廻船でにぎわいました。
そして大関酒造の長部家5代大坂屋長兵衛が、
1810年(文化7年)、
この港に出入りする船のために私費を投じて
建てたのが「大関酒造今津灯台」の始まりです。
「大関酒造今津灯台」は、航路標識として
海上保安庁から正式承認されている
日本最古の灯台であり
西宮市指定重要有形文化財にも指定されています。

大正期に電化に伴い火袋部分が変わりましたが、
1984年(昭和59年)
行灯部分の障子格子を入れた創建当時の姿に復元され、
現在に至っています。

江戸時代、大坂から江戸に送られる商品、
いわゆる「下りもの」は、
十組問屋(とくみどんや)と呼ばれる問屋仲間が
取り仕切っていました。
特に灘で船積みされた酒荷は
「下り酒(くだりさけ)」 と呼ばれ、高級品として
江戸で珍重されました。
当時、「下り酒」は、大海原を1〜3週間かけて
江戸の酒問屋が集まる新川(現在の東京都中央区 新川)
の河岸に船揚げされました。
運ばれた酒の味を調べ、仲買商が値を決めました。
そして商談が成立すると売手買手の繁栄を祈念して、
「新川締め」と呼ばれる独特の「手締め(手打ち)」が
行われました。
「新川締め」は、一部ではありますが、
現在も灘の酒を商う都内の酒類卸業者などに受け継がれています。

「大関酒造今津灯台」の 外観様式は
「木造袴腰付灯籠型灯台」と呼ばれています。
創建当時の明かりは、油皿に灯用い、毎夕、油をさげて点火していました。
創建以来、今津灯台は毎夕欠かすことなく、
丁稚さんが油2合をたずさえて点灯に行くのが習わしでした。
雨の日も、風の日も、冬の厳寒期も
灯をともし続けた丁雑さんたちの働きによって、
多くの船の安全を守る使命が果たされてきました。
灯台の火は、 航路の道しるべであるとともに、
灘の蔵元の心意気で心の火も灯しつづけたようです。
大正時代の初めには、灯台の明かりは電化され油障子も取られました。
現在はLEDランプになり、戸外の明るさに応じて
自動点火する仕組みとなっています。